第75代成蹊大学体育会本部委員長を務めました新居常俊です。
今、胸に万感の想いを抱えて、この引退ブログを書いています。すでに泣きそうです。
どうせ代交代の時はずっと泣いてなんにも話せる気がしないので思ってること全部ここに載せました。
最後まで読んでくれたら嬉しいです。
では、、、
私は高校までは、「水泳」という名の、狭いけれど絶対的なルールに縛られた世界にいました。
タイムだけを追い求める単純な競技の世界で泳
ぎに集中し、ただひたすらに前に進むことが自分の全てです。
大学に入り、サークルはなんか合わないし、水泳は高校でやりきったなと思って何も入部しなくて良いかなとか思ってたら笑えるぐらい友達ができませんでした。
入学式も母親と2人で来て即帰宅し、悲しそうな顔を母親に見せまいと強がっている自分にまた悲しくなりました。
(その時はまさか自分が入学式で挨拶をする立場になるとは夢にも思っていませんでした。)
正直4月は英語の席の隣の子ぐらいしか話した記憶がありません。
このままじゃまずいと思い結局マネージャーとして水泳部に入ったら選手に強制転向され今までと同じように気づいたら泳いでいました。
そんなこんなで泳いでいたら先輩から体育会本部の案内があり水泳部以外の友達を作りたいと思い即入部を決断しました。
体育会本部の門を叩いた時、それまで飛び込み台の上からしか見てこなかった、あまりにも知らなかった世界が広がっていました。
初めての打ち上げに参加してちばちゃんの唐揚げに感動したり、四大学の人と話してみたり、初対面の人とディズニーに行ってみたり、、
体育会本部に入ったおかげで1年生の後半は最高に充実した日々に大変身しました。
そんなこんなで2年生になり仕事も覚え始めた頃、
四大戦の開催校を経験し
自分の中で大きな出来事がありました。
本部員として運営に携わっていた私は、予期せぬトラブルと不眠からのストレスに直面し、心が完全に折れてしまいました。
不貞腐れ、文句を言い会場から帰り、会議にも出ませんでした。
また大好きな先輩方の集大成である四大戦で、そんな情けない態度をとっている自分に腹が立って、負の連鎖に陥っていました。
正直、今でも後悔してもしきれません。
やり直したいです。
しかし、その時に気付かされたことがありました。それは自分の同期の姿でした。
運営のトラブルが起きる中でも、彼らは誰一人として愚痴をこぼさず、怒鳴り合うこともなく、ただ強い心を持って、自分の役割に徹していました。
広報、記録、競技運営、総務、駅伝...。それぞれの持ち場を離れず、自発的に次の手を考え、みんなが見ていない場所で淡々と自分の役割をやりきっていました。
トラックで走り回っていた大和や、
ずっと記録室で耐えていた奈知と彩花、
応援団の伊吹、駅伝の曽雌、小高、
サッカーの審判で駆け回っていた歩夢。
キミは言うまでもない、全部やってたね。
美蘭もかっこいい選手宣誓してたし。
隼太郎はインフルで来れなかったけど、テレビ電話で「お疲れ様」って言ってくれたの覚えてるよ。
理彩子に関しては、そんな自分を見て肉まんを買ってくれて1時間も公園で話を聞いてくれて、本当に救われた。
今でも感謝しかないです。
たるみも忘れてないよ、頑張ったね。
四大戦を終えて、それまで自分はレガッタ責任者、四推局長をやりたいな〜なんて調子に乗ったことを思っていましたがそんな態度をとった自分には、責任者になる資格は無いと思いました。
だが、こんな尊敬できる、強い心を持った同期たちが、心置きなく行事や目標に向かって全力を出せるにように
「その伴走者になりたい」
そう、心の底から思ったんです。
①全力を尽くした後、心から「よくやった」と労い合える文化を創ること。
②誰にも見られていない場所での一人ひとりの頑張りをちゃんと見て、評価して、みんなに伝えることで溢れる人を出さないこと。
それが自分が残りの2年間で実現したかったことになりました。
学年が上がり3年生になり自分たちが主体となる年となりました。
初めて夏休みに高校生を対象としたオープンキャンパスイベントを開催して賛否両論ありましたがプチ責任者も経験できました。
わがままに付き合ってくださりありがとうございました笑
そんなことより印象に残っているのは責任者達の姿です。
新歓の彩花は大変でもずっと周りに対して謙虚で支えたいと思わせてくれました。
いろいろ物理的なトラブルもあったけどそれも乗り越えられて良かった。
そして最後にはプレゼントを渡す文化を初めて作ることができました。
(ルールを作った訳ではなく自然と渡したいと思わせてくれました。渡したいから渡しました)
レガッタの大和は意味わかんないぐらい落ち着いていて準備もものすごい印象だけど、毎日電話で「もうここまでかあ^_^」みたいな会話も100回ぐらいしてすっごい楽しかった。
学運の小高、曽雌は、多分本部に入って1年生の時からずっと意識し続けてきた学運の責任者になって、すごい想いが伝わってきた。
だけど、あまり貢献できたなって自分では思っていなくて、なんなら自分のせいで学年で揉めたりもしちゃった。
申し訳なさが今でも残ってる。
最後に奈知の四大戦があって同じ3年生ながら幹部を経験して、大きな責任を背負って四大戦を乗り越えて行ったのは尊敬しかないです。
「関わる人全てが楽しいと思える四大戦」
とても良いフレーズだなと今でも思う。
やってみると本当にその通りで楽しい思い出をつくらせてもらいました。
3年生での活動を通して、
2年生の時に建てた目標から
内に向けては
「これから入る後輩たちが、四大戦の時の自分と同じような環境に陥った時に潰れないように」
外に向けては
「体育会全体がそれぞれの目標に向かって頑張れるような環境を作りたい」
より大きな目標へと拡大していきました。
そう思い、3年の秋、委員長をやりたいと4年生に伝え、任せていただくことになりました。
選挙の末に選出され意気込んでいた私でしたが思った以上に予想外の課題がたくさんありました。
体育会本部は、各部活の代表で構成されているため熱量も文化も、そして「自分の部活が最優先」という掟があります。
委員長として最も難しく、最も心を削られたのが、このモチベーションの不均衡をどう埋め、いかに一枚岩の組織として機能させるかということでした。
自分の部活の厳しい練習の合間を縫い、本部活動に全力を注いでくれる人もいる一方で、上の空になってしまう人、活動への貢献が物理的に難しい仲間もいる。
しょうがありません。
頭では理解していました。
正直、「なんでやってくれないのか」「裏切られたのではないか」という不安に、本当に押し潰されそうになっていました。
時々一人、本部室で壁の組織図を見つめながら、考えることがありました。
この熱量の差を、どうすれば組織の「欠陥」じゃなく「多様性」として昇華できるのか。
リーダーとして、この課題から逃げずに、彼らを心から支えるにはどうすればいいのか。
そして、辿り着いた答えは、シンプルなものでした。
それはあの日の同期の姿を思い出し、
人間として、彼らを徹底的に、何があっても無条件に信頼することでした。
信頼は、誰かに与えられるものではなく、まず自分が相手に差し出すものです。
全員がそれぞれの場所で戦い、悩んでいることを理解する。
本部に来た時は、全力で彼らの話に耳を傾け、この場所を、彼らの第二の居場所、心の拠り所として提供する。
この「無条件の信頼」の実行こそが、この活動で得た自身の最大の成長であり、自分のリーダーシップの核となりました。
そして時は過ぎ10月22日、私たち75代は、目標であった四大戦総合優勝という、最高の成果を掴むことができました。
この勝利は、本部が、各部活のサポートに徹し、部員たちが最高のパフォーマンスを発揮できる環境を作り出せたことの表れです。
この総合優勝は、成蹊体育会にとって8年ぶりの快挙でした。
特に、同期の高野は、この「総合優勝」を大学生活を通しての絶対的な目標として掲げ続けていました。
彼は間違いなく、この75代の主人公でした。
(ムードメーカー的な意味でも)
彼の目標達成に、委員長として近くで伴走できたこと、そして、その夢が現実となる瞬間に立ち会えたことが本当に嬉しかったです。
最終種目が終わり、総合優勝校として
「成蹊大学!」
とコールされた瞬間、会場全体が地鳴りのような歓喜に包まれました。
私は委員長席から、初めて結果を知り、歓喜する本部員たちの姿を目にしました。
涙と叫び声、抱擁。
8年ぶりに掴んだこの栄冠は、最終的にわずか0.25点差。(後日2.25点差に修正)
本部員の努力、そして各部の奮闘が、本当に紙一重の差で勝利を手繰り寄せました。
この勝利は、努力の賜物であると同時に、まさに
「神様からの贈り物」だ。
今でもそう感じています。
あの時ばかりは、感情が理性を凌駕しました。カップを持たせてもらった瞬間、
張り詰めていた緊張と、
高野をはじめとする同期が、優勝カップを掲げ、最高の笑顔で表彰される姿。
4年間の集大成が報われたようで最後にこんな素晴らしい景色が見れるのかと思って
めっっちゃ泣きました。
ついでに同期と撮った写真を入れる盾も買っちゃいました。
頑張ってよかったですね。
同期へ
同期には、「感謝」という言葉では到底表現しきれないほどの、深い想いがあります。自分が委員長になったことで、誰よりも大きな負担と我慢を強いることになってしまったのは、他でもない、みんなでした。
拙速な判断や調整力不足、配慮のなさで、みんなに不満や疑問、「つねは周りを見ていない」という諦めのような気持ちを溜めさせてしまっただろうと想像します。
本当にごめんなさい。
それでも君たちは、最後の最後まで自分を見捨てず、「同期」という揺るぎない絆だけで支え続けてくれました。この苦楽を共にした絆は、大学を卒業して終わりじゃないと思ってます。
変わらない大切な同期だからこそ、あえて今までありがとうとは言いません。
これからの人生でも、どうぞよろしくお願いします!節目節目で助けてください!笑
卒業旅行楽しもうね!!
後輩の皆さんへ
またこいつ言ってるよみたいな戯言だと思って聞いてください。
引退を迎えて思うのは体育会本部の最も重要な役割とは、体育会員一人ひとりが「何かに一生懸命になれる」環境を支える「礎を作ること」だということです。
部活動のように、自分の好きなことに無我夢中で打ち込める最後の時間を、悔いなく全力を出し切れるようにサポートする。それが私たちの使命だと思います。
具体的には、
①時代に合ったルールと規約の整備、金銭の管理
②部間の問題調整と火種の未然防止、
③新歓やレガッタといった伝統行事の円滑な運営
④目立たない場所で苦しむ部活の声を見逃さないこと。
いやぁもう立派なOB。
どれだけこの実現に向けて活動できたでしょうか。
どうか、主体的に考え、行動することを忘れず、そして何よりも仲間と互いを尊重し合いながら、この素晴らしい成蹊大学体育会の「礎」を、より強固なものにしていってください。
これからも成蹊大学体育会が、多くの学生にとって、情熱を注げる最高の場所、「大学生活が一番充実していた」と心から思える思い出の場所であり続けることを願っています。
明日は、ついにこのバトンを、大切な君たち、第76代に託す日です。
みんなの瞳の奥には、自分たちと同じ、いや、それ以上の情熱の炎が揺らめいているのを感じています。
これからみんなが、この成蹊体育会に、どんな新しい風を吹き込み、どんな輝かしい景色を見せてくれるのか。
一体育会OBとして、その未来が楽しみで、そして誇らしくてなりません。
みんなの挑戦を、心から応援しています!
直下のりんか、いつきへ
ちゃんと書いたよ。
りんかへ
りんかは水泳部に入部して帰り道に話しながら何気なく体育会本部興味ない?って自分が聞いて顔が引き攣ってて、、最初は正直あんまり乗り気じゃなかったのかな?
それでも説明会するから本部室きてって言って大和とかと色々話して、後日体育会本部入りたいですって言ってくれて本当に嬉しかった。
いろんなことを一緒に経験して4月の面談では自分と話しながら泣きそうになってたのも知ってるし、それもなんか信頼されてるようで嬉しく思った。
一方で、自分がいなくなっても大丈夫なんかなとか色々心配したりもした。
何回も言ってる通り学生としての先輩後輩関係は終わるけど死ぬわけじゃないからこれからもご飯ぐらい行こうね。
最後の面談では水泳部でも体育会本部でも自分の存在価値を見出しているのを感じたよ。
自信を持って「今まで通り」頑張れ。
もう大丈夫。
間違いなく自慢の直下でりんかを選んで良かったです。
いつきへ
何回も何でお前を拾ったんだろうと考えたし、今でも思う。きっかけはせっかく体育会本部に漕艇部として入部してノリが合わなくて、でもこのまま体育会本部で頑張るチャンスを無くしてしまうのは勿体無いなと当時の自分は考えて自分の部活に引き入れて本部活動を継続させた。
最初は可愛い奴だなとか思っていたが最近は食べ過ぎて痛風直前なのは見てられない。
お腹はどうしてそんなに出ている。まるでムーミンじゃないか。体育会とは思えない。
アホそうに見えて色々考えてるようで結局アホ。人の弱みが大好き。アルハラ。セクハラ。ギャンブル。即全裸。挙げ句の果てには排泄失敗。
いくらでも書ける。
「常さん、直下どうにかしてください」って、2年間で100回ぐらい言われた。
自分もどうすればいいかもう正解がわからない。
だけどお前のいいところは先輩後輩から可愛がられる所。あと家に泊めてくれるところ。
あとは意外と仲間思いでいつきなりになんか考えててそれに同期に聞いてほしいって悩んでることも知ってる。
そこはいいところ。
自分が引き入れたという選択を正解にしてくれ。
頼んだぞ期待してる。
最後に
『みんなが「新居常俊という選択が正解だった」と胸を張って言える委員長になります。』
この言葉は、1年前のブログで自分が書いていたことです。
大事な時に不甲斐ない自分を最後の最後まで責めましたし、理想の委員長像には遠く及びませんでした。
しかし、一つだけ、胸を張って言えることがあります。
仲間と一緒に何があっても、逃げずに、この団体と、この仲間と向き合い続けました。
2年生の時の四大戦とは違い、自分なりに逃げずに、最後まで、全身全霊でやり切りました。
本部で起きた全ての出来事、喜びも苦悩も、失敗も成功も、全てがこの新居常俊の責任であると認識し、行動してきました。
全てのことを自分ごととして受け止め、不器用ながらも、心から信頼する仲間を頼り、支えられながら走り切ることができました。
その一方で理想と現実のギャップに、何度、膝をつきそうになったかわかりません。
みんなの前に立つ時だけ、精一杯、背伸びをして、強くあろうと努めてきました。
バトンを渡し終えた手が、少しだけ震えを止めたような気がします。
表現し難いほどの深い安堵感と、どうしようもないほどの疲労感が、全身の芯から押し寄せています。
ずっと一丁前なことを書いてきましたが、もう正直、1日たりとも体育会本部委員長として頑張り続けることはできません。
それぐらい出し切りました。
少し休んでまた、社会人頑張ります!
自分の人生を彩ってくださった、全ての人へ。
心から、本当に、本当に、
心からありがとうございました。
幸せな学生生活でした。
第75代成蹊大学体育会本部委員長
新居常俊

