失礼します。自己紹介させていただきます。
私、成蹊大學應援指導部リーダー部に所属しておりました、経済学部経済数理学科4年平田伊吹と申します。今年度、副委員長を務めさせていただきました。
引退ブログを書くにあたり、これまでの大学生活を振り返ってみました。諸事情により人よりも少し長い時間を大学で過ごすことになりましたが、今思えば実に波乱万丈な日々だったと思います。
すべての始まりは、今から六年前。まだ成蹊に来る前、他大学に在学していた頃のことです。居室の机の上に、判子以外のすべてが記入された應援團の入部届が置かれていました。当時のことは、正直ここには書けないことばかりなので今回は割愛しますが、少なくともあの日を境に、私の学生生活、ひいては人生そのものが大きく動き出したことだけは間違いありません。
さて、成蹊に進学してからは、体育会本部と應援指導部リーダー部という、性格のまったく異なる二つの組織に関わることになりました。
成蹊では初めに馬術部と居合の兼部という、今思えばなかなかに無茶な生活を送りました。その上で体育会本部にも所属したため、ほぼすべての行事が部活動と重なり、予定表が毎日埋まっていく生活が当たり前になっていました。
そんな中で、「参加できない日が多いなら、できることは積極的にやろう」と考え、最初に手を挙げたのが四大戦での校歌とエールでした。
本来はその年限りの四大戦限定リーダーとして関わる予定でした。しかし、その後なし崩し的にリーダー部へ。気づけば、本部員としての意識よりも、リーダー部員としての自覚の方が強くなり、私の学生生活は次第にリーダー部中心のものになっていきました。
◆一年目
この頃の私は、過去へのトラウマとコンプレックスに強く縛られていました。それを払拭するため、ひたすら部活とアルバイトに時間を費やし、自分に自由な時間を与えないことで、過去と向き合わずに忘れようとしていたのだと思います。
今振り返れば、そんなことをするよりも、今のように本部室で暇を潰し、誰かと他愛もない話をしていた方が、もっと早くこの呪縛から解放されていたのかもしれません。
またこの頃、上級生という存在に対して強い苦手意識を持っており、多くの場面でご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫び申し上げます。
◆二年目
今でも最も強く記憶に残っているのは、馬運車の運転中に事故を起こし、学運二日目を丸々欠席してしまったことです。事故を起こした瞬間、全身から血の気が引いていく感覚を、今でもはっきりと覚えています。
被害に遭われた方、関係者の皆様には、どれだけ謝っても足りません。ただ、一点白線を越えて幅寄せしてきたトラックにも責任はあると思いますが、もちろん、悪いのは私です。深く反省しています。
また、この年の新歓では、リーダー部の新歓にきて、体育会本部に案内したら消えたすずかとまどか、1日で辞めたKには言いたいことが沢山ありますが、正直その選択間違ってなかったと思います。
◆三年目――立場の狭間で
正直に言って、この一年にはあまり戻りたいとは思えません。
体育会本部と應援指導部リーダー部、二つの組織に関わる中で、自分の立ち位置に強く迷い続けた一年でした。
リーダー部では、この年から本格的に立て直しに取り組み、入部数だけを見れば過去六十年で最多となる成果を上げることができたり、三年前期に都庁に合格したりと順調な滑り出しでした。その一方で、新入生の増加により機材不足と資金難に直面し、OB会に支援を求めたのは失敗でした。
問題は解決せず、資金援助も無いまま、現場への口出しだけが増えていく。新入生の指導、部の運営、馬術部での怪我を抱えながらの練習と、自分の許容量を明らかに超えていました。それでも、同じ立場で相談できる人はおらず、強い孤独の中たった一人で走り続けるしかありませんでした。
そのため、夏合宿が終わる頃には心身に限界が来てストップもでましたが、それでも立ち止まることはできませんでした。
ただ、この時、当時の体育会本部の四年生が話を聞いてくれていたことには、今でも感謝しています。ただ聞いてもらえるだけで、救われることもあるのだと知りました。
◆四年目
最終学年では、副委員長という立場を任せていただきました。振り返れば、この一年は本当に本部室に入り浸っていたと思います。
その結果、飲み会は馬鹿みたいに増え、数え切れないほどの失敗もしました。素手でトイレ掃除をしたこともあれば、記憶が曖昧なまま朝を迎えたことも一度や二度ではありません。関係者の皆様には、この場を借りて改めてお詫び申し上げます。ただ、今となっては、そのすべてがかけがえのない思い出です。
部活動に関して言えば、今年も学園祭を周りましたが、チアをやりながらリーダーをしている人の演舞を見てとても悔しかったのを覚えています。
チアと両立しながらうちの2年生より上手なリーダーをするためにはどれだけの練習をしたのだろうか?
何故後輩にその技量を超えられる練習をさせることが出来なかったのか?
と教えきれなかった自分が悔しかったのだと思います。
これが部活における唯一の心残りなので、是非ともリーダーの後輩には独学で超えて欲しい(特に応援歌のエイトマン腕振)し、2年後の欅祭でリーダーをやってくれるであろう直下の福田にはこの悔しさ以上の悔しさを与えてくれる事を期待しています。
◆最後に
長いようで、振り返ればあっという間だった成蹊での学生生活。楽しいことばかりではありませんでしたが、それ以上に得たものの大きさを、引退した今、強く感じています。
これまで関わってくださった先輩方、同期、後輩、そして成蹊大學應援指導部リーダー部ならびに体育会本部を支えてくださったすべての方々に、心より感謝申し上げます。

