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2025

本部員引退ブログ2025 曽雌悠吾

2025/12/21

4年 会計局長 曽雌悠吾

 

 

失礼します。今年度、成蹊大学体育会本部会計局長を務めました。体育会バドミントン部所属、理工学部理工学科応用化学専攻4年、曽雌悠吾(そしゆうご)と申します。

私はまとめるのが下手くそなので長拙くて稚拙な文章になると思いますが、読んでもらえると幸いでございます。

 

まず、編集局のみなさん、毎回ブログの提出日に間に合わずすみませんでした。

格好良く決めセリフ的なのをブログに残して引退しようとも思いましたが、似合いませんね。そういうハートフルなのは委員長の新居常俊や副委員長の小髙友裕、平田伊吹に任せます。

せっかく提出を遅らせてもらったので、しっかり4年間の想いを振り返ろうと思います。

 

 

1年生

 

体育会本部に入ったきっかけとしては、部活の役職で体育会本部が与えられたから。他の同期は、「体育会本部でこういうことをしてみたい」といったビジョンがあって入っている人もいる中で、自分のこの希薄で受動的な理由で4年間走り抜けられるか正直不安でした。

そんな不安な中、顔合わせの時に隣に座った歩夢と話したのを朧げに覚えています。彼はすごく明るくて、最初から面白かった。そこで体育会本部でやっていけるかもって思えた気がします。馴染めたのも歩夢のおかげですね。ありがとう!

 

1年生の時は主に主務会の資料を作っていました。先輩たちはとても優しく、パソコン操作すら上手じゃない俺に丁寧に教えてくれましたし、何より、主務会が終わると毎週吉祥寺まで昼ごはんに連れてってくれました。(当時は主務会は毎週あった)吉祥寺まで歩いてる時に部活の悩みとかも聞いてもらったりしましたし、先輩たちの話を聞いて、これについてここまで考えてるのかこの人たちって思い知らされてました。こたろうさんさつきさんご馳走様でした!

 

そんな優しい先輩や愉快な同期たちと関わっていくうちに体育会本部が好きになり、その組織に貢献したいという気持ちが抽象的に芽生えました。そこからは式典の準備片付けを手伝ったり、会計を手伝ったり、十分であったかは分かりませんがたくさん行動しました。

 

2年生

 

部活の先輩である悠景先輩がいたこともあり、会計局に入りました。会計では先輩にくっついて決算の作り方を教わったり、謎の伝統であるたましんダッシュをしたりしました。当時前委員長だった砂川桂一朗さんの三密の話がずっと心に残っていて、会計も運営もこの話を意識しながら進めてきたことを思い出します。(今ではその三密(緻密、親密、濃密(でしたよね、?)(間違ってたら恥ずい))が染みついている感覚です)

会計局の他にも学運や四大戦では体育館の会場責任者をやらせてもらいました。体育館競技で盛り上がる選手を見て、そして体育館に響く歓声を聞いて、学運球技の責任者をやってみたいと思うようになりました。

 

四大戦では駅伝選手としても参加しました。この時の駅伝は鮮明に覚えていて、小学校入るところで常俊とさおりさんが応援してくれて、本館のとこには来場した小学生くらいの男の子が成蹊頑張れっ!って応援してくれてて、正門抜けたら悠景先輩と遠藤さんがガッツポーズしてて、欅並木ではサティさんが並走してくれて、中高門では凜とゆきが応援してくれてて、そしてグラウンドでは我らが應援団長平田伊吹が水を被ってました。(UNIVASの実況も好きでした。)

こうして実際に選手として出たことで、四大戦で総合優勝を、引退するまでに経験したい、と思うようになりました。

 

そんな気持ちも抱えつつ、四大戦が終わると4年生の引退は間近で、大好きな直上の悠景先輩が引退してしまい、もうすぐに後輩が入り、自分が2年前の悠景先輩の立場になるのと思うと焦燥感が駆け巡りまくりました。

 

3年生

 

焦燥感が残る中、同期が行事の責任者を務める学年になりました。(しゅんたろうのフレキャンも忘れてないよ!)新歓から始まり、レガッタ学運オープンキャンパス四大戦と行事が目まぐるしく、この1年はすごく忙しくさせていただきました。

 

新歓は春休み中の準備が主で、体育会本部内で完結しない新歓を取りまとめた彩花すげーって思っていました。レガッタでは大和の安定感と準備力がすごすぎて、来月の学運、俺、大丈夫かって少し思い込んだりもしていました。

そしてついに学運、有難いことに球技部門の責任者を務めさせていただきました。キミの想いも背負っている以上、何としてもやり遂げる、という気持ち一心で準備を進めてきました。その中で陸上部門責任者の友裕と、同じ学運班のキミ、はるとには物品、パンフ、会計、あらゆる面で助けられました。支えられまくった責任者で不甲斐なく感じたし、頼りなかったと思うけど、終わった時の達成感が半端なさすぎて、翌日のバドミントンの試合で空振りするほどでした。学運を経験して、達成感と同時に、今度は俺がみんなを支えていく番だと決心するきっかけになりました。

次にオープンキャンパス。オープンキャンパスに体育会本部が携わるのは私が知る限りではこの年だけで、高校生に自分の受験の時の話をしたり、部活や体育会本部の話をしたり、中々貴重な経験をさせていただきました。そして何よりもこのオープンキャンパスをきっかけに入学、そして自分の部活に入部をしてくれた人がいました。あの時高校生で対面した子が、今では体育会本部のイベントに積極的に参加してくれるかわいいかわいい後輩です。この場を借りて、常俊、ありがとう。翌年のオープンキャンパスでは体育会へ質問が増えたと聞きますし、個人的にオープンキャンパスは大きな成果だったんじゃないかなと思っています。そして四大戦。例年4年生が四推局長を務める中、同期の奈知が四推局長をしていて、当日の奈知の背中がいつもより大きく見えるくらいどっしり構えていた姿を覚えています。四大戦に関してめちゃくちゃ話したりとかはしてないけど四大戦への想いとか、秘める熱量が伝わってきてました。そんな奈知を見て、駅伝勝つしかないという思いで走りましたが、俺のチームは勝てず、総合優勝には届かず、という結果でした。ただ、この時の四大戦は色んなシフトをした関係で他大の人とも話す機会が増え、すごく楽しかったと記憶しています。奈知気合い入れの成蹊前ついてきてくれてありがとう。(記録が不十分でごめんなさい)

 

行事をやり遂げてきた同期たち、本当に格好良かったです。

 

4年生

 

ついに最高学年になり、前進する体育会本部員を支えたいという思いから、憧れの会計局長を務めさせていただきました。

安倍晋三が務めていた、というだけあって、会計局長は自分が想定していた以上に大変でした。同期のはると、後輩の一晟、凜、凛花、凜太郎に任せる部分も多かったと思います。(後輩に「りん」が多いですが川又凜と小野寺凜太朗りんの字は禾で、加藤凛花のりんの字は示なんです。)

会計局長の1年間でできて良かったこととしては、後輩に、特に2年生にも、会計局補佐としての仕事を全て教えられたことです。言い換えると、誰でも会計局長を任せられる状態にできた、ということです。4人ともやる気が十二分にあって将来が楽しみな反面、やっぱり先輩としては少し心配な気持ちはあります。でも、4人はこの1年間でできるようになったことがたくさんあるはずです。自分に自信をもって、真面目に、正しく、会計を進めていってくれたらと思います。大丈夫、信頼は自ずとついてきます。

がっつり裏方で、成果も、やりがいも、他の局に比べたら見えづらい部分はあると思います。けど、体育会本部の「なければならない局」を担っている俺たちは格好いい。はると、一晟、凜、凛花、凜太郎、1年間俺についてきてくれてありがとう。

 

また、最後の四大戦では、ラストイヤーで悲願の総合優勝を果たすことができました。四推局長のキミの勝つぞ!っていうストレートな気持ちは体育会本部に轟いていたし、一般種目の選手のためにリストバンドをつくったり、選手をやる気にさせるのが上手でした。0.25点差で総合優勝が決まるって、どの競技も欠けてはいけないことが伝わってきてドラマチックですよね(後に2.25点差と判明しましたが、)。「総合優勝は、、、『成蹊大学』」という言葉に被るほど反射的な歓喜の声と、檀上で涙を流す常俊を思い出すと、書いてる今も思い出し泣きしそうです。優勝カップを受け取った後の檀上から見たみんなの笑顔、一生忘れません。キミ最高の景色を見させてくれてありがとう。

 

そんな四大戦ですが、今年も、駅伝選手としても参加しました。体育会本部の後輩の田中健と、同じ部活で同期の下田と同じチームで走れて嬉しかったです。そして、部活のバドミントンで頑張ってきたことを、駅伝という形で0.25点差の足しにできたことが何より嬉しいです。(普段会計という見えずらい役職をしているからこその感情なのかもしれませんね)

 

自分は実は、会計局長という論理的な役職に似合わず、願掛けやその時の流れ、ルーティンを重んじるタイプで、実際にやっていたこととして、「願掛けで8月から大好きなアイスを禁止する」、「水木金と二郎系ラーメンを食べていたので、その流れのまま前日の夜ご飯を二郎系ラーメンにする」、「自分らの学運の時にもらった友裕とお揃いの磁気ネックレスをつけて走る」、「始まる直前に身体を強く叩いてもも上げジャンプを数回して吠える」などの自分ルールがありました。駅伝前日に二郎系ラーメンを食べてから当日の朝までうんこが出ず、大焦りで食物繊維ドリンクを飲んで成城のトイレにこもっていた、なんて裏話はさておき、、、いざ女子の駅伝が始まると緊張が止まらなくなりました。ただ、成蹊のみんなの熱気が後押しになったのか、総合優勝を俺が決めてやろうと燃えたのか、すぐに腹を括れました。

 

ラストイヤーだったので、走り終わったらどうなってもいいから出し切るというメンタルだったのですが、とはいえあの18分15秒は、紛れもなく4年間で1番きつかった瞬間でした。それでも走り切れたのは、絶えない應援があったからだと、心から思います。

給水では水を渡せって事前に言っておいたのにも関わらず、スポドリを渡してきやがった孝介、グラウンドを抜けるとこにいた森絢と愛奈、坂にいた楽々、吹研の方、菅又、クローク警備してた誰か、裏で並走してくれたサティさん、坂下る前にいたライフの方、下ったとこにいた雄稀と千佳、そしてスタート地点にいた体育会本部のみんなや、應援指導部のみなさん、四大戦の1,2日目で一緒に運営した他大の方々、先生方、そして伊吹と友裕。これらの遍く應援がまるでパレードのようで、雨男の俺を照らす太陽のようで、こんな思いは二度とないのだろうと思うくらい、最高の気分でした。(そういえば駅伝男子の時に雨降ったね、あれ俺のせいか、?)最後の水浴びは、、、風邪ひくかと思いました。。冗談です。改めて、應援ありがとうございました。

ところで、今回成蹊大学の駅伝選手で一番早かった選手は、実は俺です。(ちょっとした自慢です)昨年の欅祭で、去年エースだったピーチさんに、「来年も頼みます。」と言われたのですが、駅伝での1位は逃してしまいました。でも、今年のエースになることはできました。一生懸命に、全力で走る格好良さは一回駅伝を走った、見た人にしか実感できないのではないか、なんて思ったりもします。だからこそ、俺も今年駅伝を走った選手に来年エースになって欲しいと思っています。

 

駅伝も含め、体育会本部での思い出を長々綴ってきましたが、まだまだあります。フレキャン事前イベントで本気になってドッジボールをしていた優晴、レガッタの時にステッキでパンツを引っ張られながらCreepy Nutsを一緒に歌った優晴、一晟の脇の暑さ指数を計測する優晴など、上げたらキリがありません。それくらい、色々な思い出に溢れ、目まぐるしい日々に彩られ、気づけば引退の時期になってしまいました。後輩のみんなにも体育会本部のこの有限の時間を楽しんでほしいし、漠然な言葉ではあるけど、成長していってほしいと思っています。

 

そして誰よりも直下の孝介、お前は面談で、1年生の頃の俺の立場に自分がもう少しでなることに不安を感じてるって言ってたけど、ブログの最初の方にも書いたように、俺も当時は同じ気持ちを抱えてた。でも直下が入ると自然と責任感が湧くもので、お前がいるから格好悪いところは見せられないと思っていたことも事実です。去年のブログでも書いたけど、俺よりも努力し、俺よりも成長していってほしい。この気持ちは今でも変わりません。部活と体育会本部の割合はお前で設定していい。(バドミントンでもお前にはエースになってほしいと密かに思ってる。)ただ、直上からの最後のアドバイス、その割合は、最低100%ずつにすること。体育会本部引退まで頑張れ。(後輩にマシマシハラスメントをしている未来が容易に想像つくのでそれだけ注意しろよ)

 

 

追伸 両親へ

あなた達の学び舎はとても楽しかったです。受験して、入学して、体育会に入って、轍を辿るようだけど、体育会本部だけはふたりも経験してない、家族で俺だけの思い出です。


コメント
名前

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ほんたい
2025-12-24 11:23:24

4年間お疲れ様でした!
駅伝は僕の勝ちでいいよね?
陸上部門の次の人
2025-12-22 00:38:27

泣ける最後の1文、あと今年の学運のことは!????
陸上部門の人
2025-12-15 16:27:06

去年の学運の責任者ブログも遅れたよね??